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2023-03

終焉 - 2016.06.27 Mon



これから書くことは、
ポロンが冒された病と最後の時までの一週間の記録です。
といっても記憶は、ところどころ抜け落ちていて
ちゃんと書けるのか、解りません。


まとまりのない、とても長い文章です。


内容は、わんこちゃんと暮らすみなさんにとってとても苦しく、辛いものだと思います。


お気持ちが下がっていたり、読みたくないと思いましたら、
どうぞ、遠慮無く回避してください。



=====================================================



ポロンが冒された病気は、「胆嚢粘液嚢腫」(たんのうねんえきのうしゅ)
胆嚢に貯蔵されている「胆汁」は、通常サラサラな液であるけれど、
この胆汁が、固まりゼリー状になりることによって流れなくなる病気。



6月12日、いつもと変わらずの日。
朝から普段通り。
アロアとお昼ごはんをペロリと平らげ、お昼寝していた。



カブがいなくなって1ヶ月、
ポロンの精神ダメージが心配で、気をつけていた。
チャーシュ-がいなくなった時は、原因不明の片足不自由になり、
マーくんがいなくなった時は、犬生初の大発作を起こした。

チャーシューが他界して4年たった頃、
アニコミで、(私はそのことに触れていないのだけど)

「ポロンちゃんは、未だチャーシューちゃんの死を受け入れていない」・・・と言われた。
「一緒に行きたかった」・・・と言っているとも。






ここ数ヶ月、ポロンは驚くくらい元気だった。
お散歩では、走るようになっていたし、アロアが仕掛けて追いかけっこもしていた。
うんちや、おしっこをした後も、飛んではねて知らせに来る。
私が褒めるから。


17歳近いシニアの行動ではない、
この行動はアロアの影響に他ならなないと思っていた。
これも、天然で従順な性格が、周りの影響を受けやすい良い面だと思っていた。



その日の夕食を食べなかった。
そんな事はよくあって、夜遅くに「お腹すいた、お腹すいた」というのだ。
だからさして気にせず、夜の9時頃またあげてみたけど食べない。


足がガクガク震えていた。
「急性膵炎」の時と同じだ。

嘔吐も下痢もしないポロンは、この震えがシグナルだ。


病院へ向かう。


即時入院する事になった。




「胆嚢粘液嚢腫」は、「沈黙の殺人者」と呼ばれることもある病気なのだそうだ。
静かに静かに進行し、症状に現れる時はすでに末期。

シニアになると健康診断のエコーで「胆泥」と言われることも多々あり、
カブもマーくんも、数年前から「胆泥」と言われ、
それが治ったり、なったり・・を繰り返していたが、
日常の状態に問題があるわけでもなく、胆泥が必ず粘液嚢腫に変わるものでもない。

原因は、甲状腺機能低下症や、クッシング等を除いた生活習慣に絞れば
「高脂肪食」と言われているが、
カブの時と同様、10歳以降は、全て低脂肪のものしか与えておらず、
16~17歳になれば、どの臓器もケアに追いつかず、
機能が低下して機能不全が起こってなったのではないかと考えている。

ポロンの炎症(CRP)は、膵炎の時と同じ測定不能(オーバー)
今回は、胆管炎と、胆管閉塞で胆汁が流れないためピリルピン(黄疸)も出ていた。

根本的な改善は外科で胆嚢を取ってしまうという処置。(胆嚢はなくても平気なのだそうだ)

元気だとはいえ、16歳10ヶ月 僧帽弁閉鎖不全グレード5(心臓)のポロンにこの選択はなかった。



内科治療では完治できない。
・・・が、一時的に膵臓や胆管の炎症が収まり、
少しでも胆汁が流れれば、繰り返し起こることは避けられなくとも
どのくらいか・・・今までどおりの日常生活を送ることは可能になる。


だけど、この時、カブの最後を病院で迎えさせてしまった後悔から
やっとのことで立ち上がった時だった。


急変も十分に有り得る状態。
加えて、以前の入院時にも記すように、
ポロンは入院のストレスがハンバなく、何日でも昼夜問わず泣き続けるのだ。
食べないし、眠らない。


迷った。
先生にも、私の思いは告げてある。
だから4日間の入院治療で結果を見ようという事になった。
4日後、改善傾向にあれば継続治療。
もし、ダメなら退院も考えるということ。


望みはまだまだ残されている。
ポロンには、カブの分ももう少しだけ頑張って欲しい。
長さではないと思っていたけど、今ポロンを失うのは嫌だ・・・。


やっと・・・やっと・・・アロアとポロンふたり・・・
楽しくやっていこう。
どんなことをしようか・・・。
そんな風に、思いを前に向けていった矢先だった・・・





毎日、病院へ行った。
想定通り、「ヒーヒー、ヒーヒー」と鳴き続け、座ることもせず、食べも、飲みもしない。
どんなに具合が悪くても、座ることもしない。

点滴をつけたまま、ケージから出すと腕の中では泣くのをやめて眠った。
4時間の面会時間。
そのギリギリまで眠らせる為に通った。

けれどひとたびケージに戻せば、また泣き出し、3日目、
上気道炎を起こして酸素室に入った。

痛みで泣いているかもしれないと先生は言ったが、
私は、家に帰ればこの泣くのは止まると思っていた。

毎日連れて帰りたい気持ちを、抑さえるのにかなりのストレスが掛かる。


「もう少しだけ頑張れ。必ず帰れるからもう少しだけ」





カブが亡くなって、私は過呼吸を起こした。
薬がなくなる頃、その症状は収まったのに、
ポロンが入院してから、今度は
過呼吸にならない代わりに、
無意識に腕を痒くもないのに掻きむしってしまうという症状が現れた。



病院に連れて行かて、再び薬をもらう。
強いストレスがかかっているのだと。


選択、選択、選択・・・
命に関わる選択をまったなしで何度も突きつけられる。
それを決めるのは、私しかいない。


別に構わない。
腕が血だらけだろうが、傷だらけだろうが、
それで正常なココロを保てるのならそれでいい。
それで乗り越えられるなら、どうってことはないのだ。





4日目、血液検査をした。
炎症の数値は4日前の測定オーバーで変わらず、
ビリルビンは(黄疸)は上昇。

もし、耐えうるカラダであったなら、緊急オペの数値であった。

先生は、判断を求めた。
継続して入院させ、治療薬や抗生剤の変更をする事で改善の可能性もある。
けれども同時に、いつ何時、急変の可能性も高く
私が病院で死なせたくない思いがあるから、どうするか決めて欲しいといった。

ただ、もし連れて帰るのであれば、助かる可能性は限りなく低下するとの事だった。




もし、カブの最後の経緯がなかったら・・・
全て過ぎた事、たらればに過ぎない。
でも、もしそれがなかったら、継続して入院させたであろうか・・・。


今となっては何も、何も解らない。



上気道炎になるまで鳴き続け、眠らず、食べず・・・
そんな状態のまま死なせることが怖かった。


退院させることにした。
カブと同じ間違いを繰り返したくなかった。


点滴で与えていた薬を全て飲み薬に変更し、
自宅で皮下輸液をする事になった。
自宅治療でも、改善はゼロではない。
その僅かな望みは捨てずに、ポロンを家に連れて帰った。


家に帰ると、嬉しそうに家中を歩いた。
トイレにもちゃんと行った。
お水をたくさん飲んで、
いつものポロンの場所であるソファーの角でまあるくなって眠った。

ヒーヒー泣くことはなかった。
すやすやと眠った。

これから起こることがどうであれ、連れて帰ってきて安堵した。
多分ポロンも安心したのであろうと思う。






9種類の薬。
一日2回のもの、1回のもの、8時間おきのもの。
一日2回の輸液。
今まで、薬を飲ます事に困ったことはない。
ごはんに混ぜたら難なく食べたし、好きなモノに包めば必ず食べた。

でも、とにかくとにかく何一つ食べない。
仕方なくシリンジに溶かして与えるが大暴れした。
大暴れしたけど、押さえつけてでも与えなければならない。
とにかく口を開かない。

気持ち悪くて食欲が無いのもそうだと思うが、
喉が腫れて、空気が通るのさえ痛いのだと思う。






・・・・何かあった時、高速を1時間走らせるホームの病院までは距離がありすぎる。
マーくんが最後にお世話になった近所の病院へ
こんな時ばかり申し訳ないが、状況を説明しに行った。


そして、夜間に備えて「夜間往診専門」の都内を拠点とする先生に
往診依頼をした。
以前、テレビで見た先生だ。

夜11時、先生は訪問した。
大きなジェラルミンのスーツケースと登山用のリュックには、
最新式(であろうと思われる)機材などが、装備されている。

ポロンの血液検査から、エコー検査まで。
我家のリビングで行っていただいた。

現時点での正しい治療を行っていることや、
その他(よく覚えていない)などを話し、目玉の飛び出るような金額を払った。

先生は、呼吸状態に問題がなくても、
人間だったら酸素チューブをしている状態だから、
酸素室に入れてあげるといいと言った。

それから、これから痛みが出た時の為にお守り代わりと言って
「レベタン」という座薬を渡してくれた。
後で調べるとモルヒネを凌ぐ鎮痛薬だった。
さして気にもせず、本当にお守りとしてもらっておいた。


次の日、早速酸素ハウスを頼んだ。
酸素ハウスは、通常の状態よりも2.5倍の酸素がある部屋。
よく眠った。

アロアは、酸素ハウスのポロンを心配そうにずっと見ていた。
離れることなく見ていた。








20160627001.jpg









入院時から5日目、一切何も食べていない。
万に一つ、抗生剤が効いてくると仮定しても、
食べなければどちらにしろ状態は悪化してしまう。


強制給餌をしなければならないと思い、
シリンジで与えるが、頑として口を開けない。
上顎に縫ったり、無理やり押し込んでも口の脇から出してしまう。
弱ったカラダを無理やり押さえつけて、嫌がるポロンの口へ押し込む。

辛かった・・・辛かったけど何度も何度も挑戦した。

なんでもいいから食べてくれればと、色んな物もあげてみた。
ささみだろうが、豚肉・牛肉・カステラ・プリン・おいもにアイス・・・









2016062802.jpg







テーブルと部屋には、飛び散った食材が散乱した。

少しでも、僅かでもいい・・・。
だけど食べさせることは出来なかった。





入院前2・8キロあった体重は2.3キロまで落ちた。
お腹は、ぺったんこにえぐれて、肋骨が浮き出てしまっている。



それでも、おしっこは起きてちゃんとトイレに行って、
庭に出すと、アロアの後を歩いた。
足取りはおぼつかないけど、介助なく歩いた。
テラスの階段も、ちゃんとぴょんぴょんと登ろうとした。



薬が効きますように。
胆汁がなんかの拍子ですっと流れますように・・・



奇跡が起きますように・・・。



私がしがみついているものは、一本の細い枯れ草よりも頼りない。
だけど、必死でしがみついていた。










そんな細い枯れ草がプツンと切れたのは土曜日の午後だった。


突然痙攣発作が起こった。




「肝性脳症」
肝臓の機能不全により、解毒できない毒素が血液と一緒に全身を駆け巡り
脳に障害を与えてしまう症状。



家に連れて帰ってきた時から、最悪のパターンとして想定していた症状。
近所の病院で、もしそうなった時のために痙攣を抑える座薬(ダイアップ)をもらっておいた。


カブの時に何度か経験している痙攣発作。
だけど未だ慣れることはなく、震える手で
全身が硬直し激しく痙攣してるポロンの肛門に座薬を押しこむ。
肛門も硬直しているから、押し出されてくる座薬をとどめるために
指を奥まで突っ込んだ。

妹と、頻回に来てくれていたペロママが、ポロンのカラダを支えていた。

痙攣後は、全身が熱を持つ。
脳が興奮状態にあり、ものすごい勢いで歩こうと暴れ、
叫び声を上げ続ける。

薬が効いてくるうちは次第に眠るが、痙攣の強さによって収まらない場合、
もう半錠の座薬を追加する。


次第にうつらうつらと眠りについた。


ひとたび「肝性脳症」の痙攣が起きれば、その間隔は徐々に狭まり
頻発する痙攣発作に心臓が耐え切れず最後を迎えるだろう・・・。

年齢と、ポロンの心臓の状態を考えれば、
それはそんなに長くないだろう・・・。

頻発するであろう痙攣に備えて、近所の先生に念のための座薬(ダイアップ)を
追加で貰いに行った。

当初もらっていた座薬が8錠、追加でもらった6錠、家にあったものが4錠。
全部は使わないだろうけど、もう慌てず、静かに。

もう薬を飲ますこともやめ、酸素ハウスからも出した。

嫌がることはせず、静かに、穏やかに最後の時を迎えようと決めた。






すやすやと眠っている。
いびきをかいている・・・。
テラスからの風は心地よく、昼寝ばかりしていたいつものポロンと何ら変わりない。



時々、ぼんやり目を開ける。
バァバが話しかけると、頷くように瞬きをした。




「このまますぅーと逝くのかもね・・・。」
「そうだったらいいねぇ・・・。」











2016062809.jpg









別れを、こんなにも穏やかな気持ちで迎えられる事もあるのだと知った。
ココロの波は穏やかに揺れている・・・。




「そうだね・・・このまますぅ~と眠ったまま逝ってくれたらいいね・・・」









土曜日から日曜にかけて、数回の発作があった。
それはその度、激しい発作で、もうお腹で・・・全身での激しい呼吸・・・
体は熱をもち、口から唾液が漏れる。



発作の度に、泣きながらバァバと別れの言葉を叫んだ。
ダイアップを入れるも、効いてくる時間も徐々に長くなった。


「もうダメだ・・・もうダメだ・・・」



そう思うが、やがていびきをかき出し眠ってしまう・・・。




ポロンの入院から一週間、2-3時間の仮眠程度で、
土曜から日曜にかけてまる2日は一睡もしていなかった。

日曜から月曜にかかる深夜、3日目になる夜を眠らずにいれるのか・・・。

午前0時、激しい発作が起こる・・・。
パパと二人、あまりの激しい発作にもうこれが最後と思った。


パパは抱きしめて別れを言った・・・。
私も、抱きしめて

「もういいよ、ポロン。パパにもお別れ言えたでしょ・・・」 と言った。







座薬を入れたけど効くまでの時間は長くなっていた。
だから持たない。
もう、もたない・・・





それでもポロンは、また眠った・・・











パパに、「寝ていいよ。最後の時は呼ぶから」と言い、
ひとり、リビングでポロンを見つめていた・・・・。




何度かの痙攣・・・
もう、座薬を入れる手も震えない。


痙攣が起きる、眠る・・・・
そして目が覚めると痙攣が始まる・・・と言う繰り返しになった。

時間も短く、痙攣のウェーヴが起きた。


すやすやと眠るポロンを見つめている・・・。
目がパチパチ・・・と動いてから、ぱっちりと瞳を開ける・・・。


瞳に白濁は消え、澄んだ湧き水のように透き通って美しい。
やがてその瞳の中心が緑色に変化する・・・・
それと同時に、ガタガタと痙攣が始まる・・・

瞳を開けた瞬間に座薬を入れた。
半錠ではなく、一錠入れた。

そうすれば、発作に苦しむことなくまた目を閉じた。




瞳を覗き込んでいる時に感じた。
緑色に瞳孔が変化するときに、もうポロンは「死んでいる」のだと。

その瞳は、見たこともないくらい美しかったけど、意思はなかった。







気がつけば18錠あった痙攣止めの座薬は、残り2錠になっていた。




目が覚めれば、同時に痙攣が始まる。
座薬を入れれば、眠ってしまう・・・。
心臓に手を当てると、まだ強く弱まることなく動いている。



私が座薬を入れ、痙攣を止めてしまうから死ねないのだ。
止めてしまうから、何度も何度も苦しんでしまうのだ。









もう終わりにしよう・・・。




つぎ、目が覚めたらもう、座薬を入れず逝かしてあげよう・・・・。
苦しく、苦しく、苦しいかもしれないけれど、ママも一緒に苦しむから・・・


だから・・・・



だから・・・



それでいいでしょう?・・・・・。







 

午前3時、
ポロンは目を開けた。

私は、ポロンを抱いて庭のテラスの階段に腰掛けた。
激しい呼吸と、ガタガタと硬直する体をしっかりと抱きしめ、
歌を歌った・・・・。
小さい時から抱いて歌ったうたをうたった。





「ゆりかごのうた」

ゆりかごのうたを
カナリヤが歌うよ。
ねんねこ ねんねこ ねんねこよ

ゆりかごのうえに
枇杷の実がゆれるよ
ねんねこ ねんねこ ねんねこよ

ゆりかごのつなを
木ねずみがゆするよ
ねんねこ ねんねこ ねんねこよ

ゆりかごのゆめに
黄色い月がかかるよ
ねんねこ ねんねこ ねんねこよ






ポロンは両腕を私の首に回し、激しくもがいていた。
まるで熱した鉛を抱いているように熱い。

激しく波打つ呼吸と、聞いたことのない叫び声・・・


がんばれ、がんばれもうちょっと・・・
もうすこしだよ、ママも頑張るから・・・

強く、強く抱きしめて耳元に囁いた・・・。





ポロンの呼吸と叫び声は、どんどん激しくなった
でも耐えなければ・・・
ポロンは頑張っているんだ・・・
私がくじける訳にはいかない・・・
ポロンの命の完全燃焼をママが見届けるから・・・
見届けるから・・・









神さまどうか・・・


どうか・・・ポロンの心臓を止めてください・・・


私は・・・どうなってもいいから・・・


もういいですよね・・・


何かの私への罰なら、私が必ず受けますから・・・


どうかもう・・・・どうかもう・・・・終わりにしてください・・・・








長い、長い2時間だった・・・・







そして、解った・・・





神などいないのだと。






叫び狂うポロンを抱いたまま、芝の上に膝から崩れ落ちた。
私とポロンは、汗と涙と唾液と汚物まみれで・・・。


見上げた月は満月だった。
鈍い、鉛色の満月。


思いは届かないと、あざ笑うように見下ろしていた・・・。









残りの座薬を2錠と、
夜間救急の先生からお守りと言ってもらっていた「レベタン」を同時に入れた。

6時にになれば、家族が起きてくる。
汚物まみれで、舌も出ててしまって、ぐちゃぐちゃになったポロンを誰にも見られたくなかった。
ゾンビのように、緑色の瞳で激しく叫び狂うポロンをバァバにも、パパにも。

誰にも見られたくない。


ポロンは我が家のお姫様だ。


昔からずっと・・・たいせつな可愛いお姫様でいなくてはいけないのだ。


座薬とモルヒネ以上の痛み止めを同時に入れれば、死ねるだろう・・・。


そしたら、お風呂に入れて綺麗な服を着て




「ポロンは逝ったよ」 と言おう・・・。



可愛いポロンのまま
いつも、いつでも可愛いポロンのまま・・・。











みんなが起きてきた。
ポロンは汚物まみれのまま、同じ場所ですやすやと眠っていた。
結局3錠の座薬を入れたところで、ただ眠ってしまっただけだった・・・




バァバが温めたタオルを持ってきて
「拭いてあげないと・・・」と言った。








私はぽつりと言った



「病院が空いたら、ポロンを連れて行って楽にさせてあげようと思う」




しばらくの沈黙の後、パパが


「わかった」と言った。


出掛けに、ポロンの頭をちょんと一回撫でて


いつもと同じように
「行ってくるね」 と言った。









安楽死について、シニアをもつ私は、そのことを考えたり
誰かと話したり、意見を聞かれたり・・・
そんな事も少なくなかった。


「わんこの親である私が決めることは全て正しい事。」

もし、私じゃなく誰かがそれを選択したなら、
私はそう答えるだろう・・・。

でも、本当は、何が正しく何が間違えなんてわからないのだと思う。
答えのない問題に答えを出しているだけなのだ。




死の概念は人間だけに与えられた贖罪なのだと
誰かが言っていた・・・。

だから私たちは、生きている間、病気に怯え、事故に怯え
災害に怯えて暮らしている。


動物たちは死の概念がないから、死ぬと言うことを知らない・・・。
だから最後の最後の最後まで、ただ・・・ただ・・・生きようとするのだと・・・。


だとするならば、安楽死は
どんな苦しみであっても生きようとしている命を絶つ行為なのかもしれない。


ポロンは死にたがっているのだろうか・・・
その真意はわからない。
もしかしたら、ただ・・・ただ・・・命が燃え尽きるまで戦っているだけなのかもしれない・・・。


だからせめて、その生命を私が断つなら
嘘はやめよう・・・。


ポロンの為にそうしたというのはやめよう・・・。





朝10時、病院の診察台の上で眠るポロンに・・・・

眠ったままのポロンに薬が入る時に・・・
耳元に顔を埋めて言った。


「もう、ママが辛いから・・・頑張ったけどママがもう耐えられないから・・・
ポロンごめんね・・・許してね・・・・。」





「愛してるよ」



・・・と。












あれだけの痙攣発作に弱ることのなかったポロンの心臓・・・
先生は、一回で終わるようにと、小型犬の3倍量(大型犬の量)の薬を入れた。
なのにそれでも心臓は止まらず、
慌てて、追加で1本、呼吸は止まってもまだ心臓は動き続け、
ようやくもう1本の注射で、ポロンの心臓は止まった・・・。






この事に何か意味があるのか・・・
ありえない皮肉だとおもう。
こんなに強い心臓なら、手術も入院も耐えられたかもしれないのに・・・。








家に帰ってポロンにシャンプーをした。
ピンク色のワンピースに、庭に咲いていたスイートピーを髪に飾った。











その後、バァバと酷い口論をした。
なぜ口論になったのか、よく覚えていない。
その後の経緯も、ところどころ抜け落ちてしまっている・・・。


まる3日一睡もしておらず、安定剤を何錠も飲んでいたせいかもしれない。
モウロウとしていた・・・。


泣き叫びながら家を飛び出した。
私の親友のさっちゃんが、仕事を放り出して迎えに来てくれた。

さっちゃんと出かけたのに、なぜか、夜の8時頃ペロママと家に戻り
その後朝まで、死んだように眠った・・・。










この日から、私のスイッチは切れた。



悲しみの感情がわかない・・・。
涙も出ない・・・。




それは、ポロンのお葬式でも・・・
あの2羽のキジバトが舞い降りた時も・・・


愛するものとの別れがどのように癒やされていくかは知っている。

悲しみや寂しさは、激しいものから、やがて穏やかなものへ変化する。
人は、ずっと24時間ずっと悲しみ続けることは出来ない。

だから、だんだんとその別れを考える時間が少なくなっていく。

だからこそ、前にすすめるのだとも思う・・・。

それが解っているから、今までもやってこれたのだと思う。




感情を失ってしまった私は、悲しくないからずっと考え続けることが出来る。
今もなお、寝ている以外ずっと・・・
誰かと話していても、何かをしていても休むことなくずっと
複雑に絡み合った、カブとポロンの別れについて考えている。













カブとポロンの二つの別れ・・・。




病院で亡くした後悔と、家で看取る壮絶な死。



今となっては、どちらが正解で不正解でもない。



ただ、くじ引きのくじを引くようなもの・・・
引いたくじが当たりかハズレか、そんなシンプルで単純なものかもしれない。



私とポロンがもがき、あがいたあの夜、
私とポロンでもなく、わんこと人でもなく
魂と魂が、激しく火花を散らしスパークし、
私の魂はこっぱみじんに吹き飛んだ。

あの夜、全てが終わった気がした。
ポロンの命だけでなく、
私の信念みたいなもの。私の世界の終わり。






17年近く、大切に大切に慈しみ、育み 愛した存在。
痛みがあれば、代わってあげたいと心から願った存在・・・。

その子の命を断つために必死になった、あの夜。

狂気の世界だったあの夜。




あの夜のことは誰にもわからない。




だから、此処に封印しようと思う。




そして忘れようと思う。











ポロンに寿命のようなものがあったとするなら、
もしかしたら、もっと先だったのかもしれない・・・。

ポロンがカブのもとに行きたがった思いが、あの命のせめぎあいだったのか・・

それとも何か、私への課題だったのか。






その答えを探すことをやめよう。
悲しみと一緒に、怒りも、喜びも感じない今は、
もうそれでいい。
それできっと自分を守っているのだから、それでいい。


いつか、そのパズルがピタッと合わさる答えに出会えるのか、
そうでなくとも。


いつでも苦しく辛い時、
真っ暗な闇の中で、ココロの位置を少しずらしてきた。
少しずらすと光が見えたから。
そして、その光目指して歩いてきた。




だけど今は、光は見えない。



真っ暗な闇の中。ただ呆然と
私のまわりを廻る世界をながめている・・・。



それもいいし、今はむしろそれでいい。



先に光る光は見つけられずとも。








アロアは私の常夜灯。
小さな足元を照らす常夜灯。


健気に、たくましく私を導く


今はその明かりを頼りに歩いていこう。








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プロフィール

camp-k

Author:camp-k
☆チャーシュー(享年17歳6ヶ月)
カブとポロンの母。h19/2虹の橋へ。私の分身。

☆マーク(享年17歳9ヶ月)
のんきなマイペース。2ワンの父としての威厳はゼロ。
2014年9月15日虹の橋へ。
世界一やさしい子

☆カブ(享年17歳5ヶ月)
H.20/12増帽弁閉鎖不全で余命3日と宣告。9時間に及ぶ人工心肺を使った狭窄形成手術に挑み、生還。 好奇心旺盛な知能犯。
2016年5月16日虹の橋へ。

☆ポロン(享年16歳10ヶ月)
2016年6月20日虹の橋へ。
我が家のお姫様。
生涯天然のぼんやりキャラ。


☆アロア(5歳)
3ワンシニアーズの教えをすべて背負って新世界へ!!            

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